アスリート紹介 「中央大学自転車競技部卒業生③ 山本選手」

PROFIT愛用チーム「中央大学自転車競技部」。

引退後にプロとして活躍している卒業生の、大学時代と現在の夢を紹介します。



最速の帰宅部が目指すパリの舞台
プロ自転車ロード選手
山本哲央

山梨県韮崎市に“最速の帰宅部員”は生まれた。

山本哲央は高校生の時、通学用にとロードバイクを手にした。いつしか“自転車競技部”を自ら創部し、高校生日本一に輝き、中央大学自転車競技部を経て今はプロロードレーサーとしてパリ五輪を目指している。

高校生への通学用に買い与えられたロードバイクから彼の自転車人生は始まった。

ロードバイクを手にした彼は、通学で飽き足らず知人の誘いで自転車競技の合同練習会に参加する。あっという間に自転車競技の魅力に惚れ込んだ。

通学のためのロードバイクはあっという間に“競技で勝つためのロードバイク”になった。

高校には自転車競技部がなかったので、一人で“自転車競技部”を創部してしまった。

春の高校選抜大会で日本一となると、テレビ番組で「最速の帰宅部」として取り上げられた。

高校時代の山本

2018年に中央大学に入学した。中・長距離種目を中心に大活躍した彼に、4年間で最も記憶に残る試合を聞くと意外な答えが返ってきた。

大学日本一を決める通称インカレ、4年生のロードで手痛い失敗をした試合を挙げた。

着実に4年間実績を積み重ねて調子も上々、自他ともに認める優勝候補だった。彼が勝てば、中央大学の総合優勝も可能な総合ポイント差だった。

この年中央大学自転車競技部はインカレにおいて、短・中距離9種目中7種目で優勝という前人未到の快挙を達成しており総合優勝は目前と思われていた。

だが彼のリザルトはDNF(Did Not Finish)だった。かくも厳しき自転車競技だ。

序盤に彼は痛恨の落車トラブルに見舞われた。細いコースで急激に変化する集団の形。彼は行き場をなくし、落車しホイルが壊れてしまった。

すぐに後輩がホイルを差し出し、彼は集団を追いかけた。でもこれを見て、ライバル大学は無情にも一斉にペースを上げた。

学生競技連盟のローカルルールの中では彼の力をもってしても追いつけずそのまま時間制限で失格となった。

競技終了後、彼の顔はまさに“魂を失った人”だった。自身の成績はもちろん、COVID-19による中止を跨いでの中央大学自転車競技部インカレ2連覇がその手から滑り落ちた責任を感じていた。

そんな彼は大学時代の思い出に落語との出会いを挙げる。

今でも息抜きは寄席だそうだ。

最後のインカレで悔し涙を飲んだ彼は大学卒業後、今村駿介を追いかけてプロ入りした。

プロ入り後もJプロツアーU23の年間チャンピオン、国内外のプロが集うツアー・オブ・ジャパンでステージ3位など輝かしい成績を重ねている。

彼の今の目標はパリ五輪の4km団体追抜でメダル獲得、ヨーロッパのレースでの優勝だという。

中央大学自転車競技部を始め、PROFITはアスリートを応援しています。

大学時代の山本 高島監督とともに